一枚板は贅沢?それとも“地に足がついている”?
こんにちは。
レジンテーブル槐です。
「一枚板のテーブルってかっこいいとは思うけど、高いでしょ。」
「一枚板は贅沢品っていうイメージがあるんですよね。」
展示場にいらっしゃるお客様から、このような言葉をお聞きすることがあります。
確かに、一枚板は価格だけ見れば、決して安いものではありません。
ですが、それは本当に“贅沢”なのでしょうか?
今回は、一枚板の持つ本当の価値を、
「贅沢な暮らし」と「地に足のついた暮らし」の間にある視点から考えてみます。
なぜ一枚板は高価なのか
まず、一枚板が高い理由には明確な根拠があります。
• 樹齢数百年の一本の大木から、一枚を切り出す希少性
• 仕入れの目利きの難しさ
• 乾燥に数年単位の時間がかかる
• 木の“反り・割れ”と向き合う、熟練職人の手間
• 切り出しや研磨など加工の難しさ
つまりその価格は、
「自然の時間 × 職人の技 × 限られた資源」の結晶なのです。
しかし、一枚板が評価される理由は金額の多寡ではありません。
•同じ木目がこの世に二つとないという特別感
•手で触れたときの、温かみと安心感
•部屋に置いただけで、空間に深みと落ち着きが生まれる
• 使うほどに風合いが増す、経年変化
こうした価値は、カタログや数値では測れないものです。
一枚板の家具があるだけで、暮らしに重心が生まれるのではないでしょうか。
まとめ
かつての日本では、木の家具は「当たり前」のものでした。
長く使って、削って直して、最後には焚き木や土に還る。
そんな循環の中で生きる感覚は、“地に足のついた暮らし方”と言えるのではないでしょうか。
一枚板は、たしかに高価かもしれません。
ですが、その価格だけを見て「贅沢」と決めつけてしまうのは、少しもったいない気がします。
その木が生きてきた時間の長さと
それをテーブルとして使うあなたの人生の時間。
そしてそれは代々受け継がれてゆき、やがて地球に還ります。
その全てに価値があるからこそ、一枚板は「ただの家具」ではなくなるのです。
見た目の豪華さではなく、心の豊かさを育てるような地に足のついた贅沢を届けてくれる一枚板。
未来の生活や地球、自然のことにも少し思いを馳せながら、一枚板のある暮らしを選択してみるのはいかがでしょうか。